弾琴台土城と父母山城


弾琴台土城


豊臣秀吉が朝鮮出兵をおこなった文禄の役(1592年)の頃の話です。背後には南漢江、断崖絶壁を背に八千の兵と籠もり、巡辺使・申砬(シンリップ)将軍が殉死した記録が残ります。攻めた日本軍は小西行長軍こんな所まで来たのですね。

古代には、弾琴台土城という城がありました。残念ながら遺構はわからず…写真は、版築土塁か?と思った場所です。

近くで鉄鋌が40枚も見つかったそうですよ。『日本書紀』の神功記には百済・肖古王が鉄の延べ板40枚を日本側の従者・爾波移(にはや)に献上するシーンがあるそうで。関連があるのか?!そもそも、存在しないであろう神功皇后に繋がる何かなのか?!というわくわくドキドキがあったのです。
(神功皇后の存在は否定しても私は彼女が大好きなのです。)


住所:忠清北道 忠州市 漆琴洞 サン1-1
遺構:版築土塁?
メモ:現地に言ったら、背水の陣をしいたというその地形をチェック!断崖絶壁を見ながら、将軍の覚悟を感じました。


父母山城


朝のウォーキングアップと聞いて来た父母山城。全然ウォーキングアップじゃない!!!!韓国の古代山城レベル高い!!!!

山の上に井戸みたいなのがあったけど、多分古代山城の遺構じゃないんじゃないか?という話…。その井戸のある周辺には、ツルに巻き付かれた石積み残っていました


とくに面白かったのはコレ!排水溝水門に向かって斜面から水を下ろす。分岐がたくさんあり、これがいい水を流してみたくなりました


住所:う〜ん。住所がわからないので、調べます
遺構:石積み、排水溝、井戸は…?
メモ:めっちゃ猫おる!!!!運動遊具があり、韓国のおじさん・おばさんが散歩・運動をしに来ていました。まぁまぁな山の上なのに、アクティブやな。この地域は地方にあたるそうです。


 

Author: inamotokaori
お城マニア&観光ライター

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