新潟県は南魚沼市にある坂戸城に行ってきました!
この日は雨予報なので天気が悪いですが、お日様のない20度くらいの気温のため登る方としてはすごく助かります。

なんといっても坂戸城は越後のラスボス的存在の城。
標高は633m、比高にして450m!ひ〜恐ろしい〜。30歳ちょっと前くらいから体力的にも落ちてきて、THE やばい城は、いまのうちに登ってしまわないといつか登れなくなるかもしれないと思っている限りです。

長野の松尾古城からの遠見番所。
山梨の御坂城。

どちらもキツイ城でした。年のせいにしていますが10kg分の脂肪がくっついてきたのが大きな理由です。きっと10kg痩せたらスイスイでしょうね〜(あぁあの頃に戻りたいw)坂戸城もけっこう辛かった…今は全身筋肉痛のため「あぁぁうぅぅ」

ちゃんとした遠景写真はまだ一眼レフの中なので……マンゴーアイスと一緒で恐縮です(笑)黄色い線が坂戸への登城ルートの薬師尾根コース。実城とある部分が本丸です。


登城ルートは全部で3本あります。
薬師尾根ルート(上り80分)
 整備された階段になっているので歩きやすい!けど、段差が高いので足があがらない…
城坂コース(上り80分)
 旧大手道のことだと思われます。整備はあまりされていなく道幅も狭い。けど、階段が無い=段差がないので、自分の歩幅で歩けます。慣れた人はコッチのほうがいいかも。
寺ヶ鼻コース(上り90分)
 こっちは本当にキツいらしい…

薬師尾根ルートで登って55分程かかりあまり休まずに行ったにも関わらず、たくさんのレジェンド達に抜かれて行きました…みなさんどれだけ健脚なんですか…。週末は散歩(実城まで往復)してるよ〜なんて爽やかな笑顔で走っているお姉さんもいました…すっげぇ!


2合目付近。この道がね〜辛い。平坦に見えるけど、ながーい上り坂なんです。


7合目付近。道を登っり左へとカーブしていった先…写真の左上のあたりが実城です。この頃には汗だく! 挫折しそうな長さやん!


やっと山頂に到着!とんでもない高さですね。
同行してくださった方が言っていてなるほどって思ったのですが、実城の位置は、東京スカイツリー展望台の天望回廊とだいたい同じ高さなんですね! それを歩いて登ったのか〜と思うと、達成感を感じます^^


実城はこんな感じ。中央には富士権現社が建っていますが、櫓台はかつてのものです。坂戸城は、16世紀に長尾氏が城主でしたが、上杉謙信が亡くなったあとの跡目争い「御館の乱」の頃には、直江兼続が城主になったそうですが…よくわかりません^^;景勝が後を継いだあとの上杉氏は会津に転封となり、坂戸城には越前にいた堀秀治→直竒が2万石で入り12年後に廃城となります。

この櫓台は長尾のものか?堀のものか?


ヒントはこれでしょうな〜
櫓台に残る石。ちょっとだね(笑)野面積みだけど、しっかり割っていることがわかります。


この段々がカッコイイよね。明らかに見(魅)せている。下段は石垣はずらーってあったんだろうけど今は草の中か…あるいは崩落です。足元に結構石が転がっています。

この下の壇にも…


石垣はあるようですが、よくわかりません。崩れているか草の中です。


坂戸城は実城だけではなく、結構広域! 登ったり下ったりして全域を見ると、1,2時間はかかるんじゃないでしょうか?写真は実城から見える小城・大城(曲輪の名前)。せっかく登ったし、もう二度と来ないかもしれないって人は見に行っとくといいかも!(笑)


廣瀬曲輪から見る富士権現社方面。よく見ると、手前の壇にも石積みがあります。これは、富士権現社の下にある石よりもだいぶ古そう…


主水郭と桃ノ木平を見学して下山です★
復路は城坂コースから帰りましたが、高いです! 谷の中央が居館ですよ。

 


さて、やっと居館跡の石垣まで来ました(笑)


説明会には30人くらいの人が来ていました。

お話によると……

・発掘では居館の建物らしい出土遺物は見つからなかった。(もしかしたら、工事が始まる前に終了したのかな?って感想)

・虎口も、イメージするような明確な城門は出てこなかった。


・虎口の左側は修復なしのそのまま生きている状態。天端から崩れているのがあるが、自然崩落かな?(一国一城令で各地の古城が破却されているがそれではない感じの中途半端な崩落)
 こちらも復元しようかなと思ったけど、このままにしておいたそう。よかった! 

・鏡石がある、横長の石があるのが坂戸の特徴。


・今回石垣復元したのはコチラ(右)側。

・両側とも隅が立石になっているのが特徴。(個人的の感想…1590年代に全国的に流行っていますよね〜)

・幕末の護岸工事で虎口の右側の石垣から石を持っていっちゃったらしくて、ほとんど残っていなかったそう。石垣の足元の方…今は土で埋まっている場所を掘ったら、根石があり石垣の表面にはちゃんと間詰め石も残っていたって!

・残っていた石材はそのままor位置を修正して利用し、足りない分は護岸工事で持ち出された石を回収して使用したり、市内から似た材質の石を提供・購入したりしたらしい。

・割れやすい石だったようで(多分矢穴がない理由はそこだろうなと勝手に推測)、割れた石は接着させた…それも上手に修復させるのではなく修復したことがわかるように修復した…というのが素晴らしいです!


・こちらは護岸工事に使われた石を回収してきたそうです。ただ、幕末の矢穴があったり化粧があったりで、使えない状態だそう。なお、看板には「将来、坂戸城の石垣を修復する際に使います」とあることから、この矢穴は見えなくなってしまうのかな。


矢穴


化粧

 


他にも面白い話はあるのですが、今日はここまで!
楽しい説明会でした★
ログは御居間屋敷跡の部分、内堀の部分がありませんが〜

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA