いよいよ、憧れの城「三年山城」に


とうとう来てしまった…三年山城
この人生もう、やり残したことはない。あ、まだ丸亀城を見ていないので死にたくはないけど、後悔はしない(笑)

ゆうりさんにパンフレットをいただいてから、「なんじゃこりゃー!!!!」と恋に落ちた三年山城は、韓国の仁川空港から車で4,5時間はかかる距離だろうか?そもそも国際免許がないとレンタカーは借りられないので、全く言葉が通じない田舎の町にバスや鉄道を乗り継いで行かないと、この城に出会うことはできない。

運転して下さったゆうりさんは、本当に神にしか見えません

はい。どーーーーーーーーん!!!!!!!


(西門)

くうわわわわ、かっこいいー!!!!!!!
見てわかる通りここの部分は復元なんですけど、めちゃめちゃカッコイイー!!!!!!もう、語彙力がなくて申し訳ないですー!!!!!!!!!!!


(門礎石。福岡の大野城とかでも見られる。比較すると超面白そう

門礎石の跡もあり、また門の内部には水をためて排出するための空間もありました。門の後ろには水のスペース。これが古代山城←3年前(え、もう3年になるのか…)から古代山城をめぐりはじめて、理解してきた部分です。


(南門から東門へ)

この辺りは復元ではなくホンモノなのではないだろうか?この時は気がつかなかったけど、崩れた部分は石の内部構造を生で見られる貴重な機会なので、次回古代山城に行った時はじっくり見たいところ。


(そして、東門へ。外側からの写真。おそらく、茶色石が復元で、青っぽい石がホンモノ)

もう意味がわからないぜ。
もう、意味がわからないぜ、スゴイぜー!!!!!!!!

三年山城は、石壁の底が壇になっているのが特徴で、専門用語で「基壇補築」といい、敵を寄せ付けない効果があります。写真だから小さく見えるけど、近くに行くと基壇も結構な高さ!2.5〜3mくらいかな?と、すると全体の高さは…ね?スゴくない?

470年の城ですよ???????
その頃日本は…稲荷山古墳出土鉄剣(金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん))に雄略天皇(ワカタケル大王)の名前が登場した頃よー?????その頃にこんな高い石を積む技術があったなんて〜本当にすごいわ。スゴイしか言葉でないわ


門の内側は、内枡形虎口みたいになっています。そして、石壁に向かって排水溝が伸び、石壁下部には水を外に流す穴がありました。底面が段々下がっているの!すごいよねすごいよねジェンガーじゃないんだぜー


おセンチな写真ですけど、「圧巻」を表現しているつもりです


蛇のような城壁。いや龍のような城壁!!!!

この写真の後方の石積みがホンモノなんですが、5月下旬では既に藪の中でした(笑)また冬に来たいです


看板の内容

「築城に3年間費やしたことからつけられた名称という。その後、486年に実竹が3000名の人夫を徴発して改築したという記録もある。新羅が西北地方に勢力を拡張する際、最も重要な前哨基地であったと考えられており、三国統一戦争の時、太宗武烈王が唐国使臣の王文度をここで迎えたこともあった。高麗の太祖王建がこの城を占領しようとし大敗を喫したこともあった」


三年山城

住所:大韓民国 忠清北道 報恩郡 報恩邑 城舟1キル104
遺構:石積みなど
メモ:確金(ファクセ/扉軸摺金具)が南門から出土したようだ見てみたい
韓国特有の雉城についても理解できた


城日記はこんな感じでデコデコ

Author: inamotokaori
お城マニア&観光ライター

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