西股総生先生よりご著書『パーツから考える 戦国期城郭論』をご恵贈いただきました。ありがとうございます。全て読み終わったので、少しだけ内容をご紹介したいと思います〜!!
西股先生の見ている景色
早速ですが、城を巡っている時の西股先生と私の決定的な違い。
それは軍事的なシミュレーションができているか否かです。西股先生は、どこに何人の兵を配置してとか、反撃はここからこうで…とか想像しながら城を歩いています。私は、その戦の様子を想像する力がまだなくて。(どちらかというと脳内で築城しながら巡っているしw)その違いが、縄張研究の先駆者たる、城の読み解き能力につながっていきます。なので、私では…いえ、私たちでは(と、言わせていただきましょう)本当の意味での城の理解は研究者の方にかないっこないです。
しかしながら、研究者ではなく、城を趣味にしている人に軍事的シミュレーション能力が必要かどうかというと、全くそうは思いません。頭の中にある「知」や「経験の蓄積」は、こうして本からいただく。これに限ります。言い訳(キリッ)
パーツから城を読み解くって?
言葉の通りご著書の内容は、「堀」「土塁と切岸」「竪堀」「馬出し」「枡形虎口」「横矢かかりと櫓台」(これはパーツというより技巧より?)「曲輪」・・・そしてまさかの「天守」!!と、城を構成する部品にわけ、それぞれの角度から論を述べていきます。
個人的には“曲輪の端にある土塁の高さの違い”や“戦国初期の枡形虎口”は面白かったし、地域の城の主流や癖みたいなのがわかると地域ごとまとめて行きたくなるから、もっともっと紹介して欲しいと思いました。
西股先生はご著書の中で「カタログ的にパーツとそのスペックとを羅列したかったわけではない」と述べながらも、こうしてパーツに分けたことで、これほどわかりやすくまとまっている本はない! しかも、著者の狙い通り「時間軸の進化」がパーツごとに理解できる画期的な本になっています。
注目は「丸馬出し」でしょ
233ページに及ぶ本の中で最も注目して欲しいのは、諏訪原城の丸馬出しです。これは『歴史群像』146号のなかで、私も取材に同行させていただきました。
といっても、私が同行させていただいたのは西股先生ではなく、西股先生と反対の論を唱える樋口隆晴さんの執筆回です。(もしよかったら。歴史群像の制作こぼれ話を読んでください。←クリックするとサイトへ飛びます)
あの丸馬出しは、武田か? はたまた徳川か?
発掘調査によって、武田の諏訪原城を徳川が改修していたことがわかったわけですが(改修されていない箇所もある)、樋口氏は現地を歩き、調査報告書も読んだ上でニノ曲輪を徳川期の拡張と結論づけ発表しています。西股先生は『パーツから考える 戦国期城郭論』の中で、それを「疑問」と提して、武田氏の勢力圏にある他の城の丸馬出しの現象を紹介しながら「他の城の丸馬出は武田だが、諏訪原城の丸馬出は徳川だと説明されても」納得できないとしています。
さて、難しい話ですね。
樋口さん、西股さん、両方の論を読んで、みなさんはどう思われるのか。ぜひお考えください。(いなもとは蚊帳の外感を演出するセリフ)
ちなみに、私は樋口さんの取材に同行させていただいた中で、次のようなことが印象に残っています。
現状のニノ曲輪の丸馬出しが徳川によるものだったとして、もし武田時代の丸馬出しが今の空堀の位置にあったとしたら、武田の丸馬出しは徳川の丸馬出しを造る過程で消滅しちゃったわけで。考古学でも、縄張研究でも、わからないことにはかわりない。 今見ている城の姿は、城の最終形態。 だからこそ改修前の姿は見えないんですよね。
パーツから考えるって面白い!
難しい話ですね〜。でも、城のパーツから考えるって面白い!!
武田っぽいとか、北条っぽいとから、パーツから城の感想を述べられるようになると、一人前のオタクって感じがしますよね(笑)まぁ、実は私、600城以上巡ってきて、まだそういうのがわからなくて。(武田氏の両袖枡形虎口くらいしかわからん)。この堀は北条っぽいとか、あの虎口は武田っぽいとか言えるようになりたいです。
今は絶賛石垣にハマり中で、「織豊っぽい」を勉強しているんですけどね(笑)関東に住んでいるとなかなか…。
ぜひみんさんも、パーツから城を見てみてはいかがでしょうか? とても楽しい1冊でした!
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